Quick Homepage Maker is easy, simple, pretty Website Building System

2012.7.11⇒

2012年7月11日

「アジア太平洋・平和文化フォーラム」を考える

太田義郎

1.「私と沖縄」のこと
 もともと沖縄への関心は少なかった。昔(私の学生時代のこと)“沖縄を返せ!”とみんなと肩組んで歌った。大声で叫んだわりに沖縄への思いも殆どなかった。せいぜい「パーカーの万年筆」を7$50cで買ってもらった思い出くらいだ。
 何のことかって? 私の学生時代の沖縄は米軍の支配下でドル世界。沖縄出の友人が故郷へ帰ると「パーカーの万年筆」が2500円(7$50c)で買える。そこで買ってきてもらう交渉をする。ほぼ倍の5000円位の超高級品なのだ。僕はその万年筆を愛用した。ところがその大事な大事な万年筆を失くした。全商連の総会で落とした。実に残念だ。
 その後沖縄へ2度行った。しかし観光と所用で「平和を考える」ことと無縁だった。沖縄の歴史、報告、沖縄戦のこと等6~7冊の文献は読んだ。が、それ以上の関心へと深まらなかった。
 「ひめゆりの塔」を2度ほど観た。見て、どうも「違う」。沖縄の戦争の実体、日本軍と沖縄の人々の実体を描けていない。そんな感想を持ち続けていた。
 今年に入って驚くべき報告を聞いた。「命どぅ宝」の事務局長・新城さんの報告会でのことだ。沖縄の人々は江戸時代から今日まで2度、人によっては3度創氏改名させられたという。「えーッ、本当」思わず叫んだ。日本支配下での朝鮮半島の創氏改名は大事件と知っている。しかし沖縄の人々に対し、同じことを「ヤマトンチュー」はしたのだ。その事実はまったく知らされていない。さらにその席で、明治中ごろ、確か大阪万博の時、動物を入れるオリに“これが琉球人”と見せ物として展示されたというこの話もショウゲキだった。
 戦前から私たちは沖縄をずっと差別してきた。その事実も知らずノー天気なことだ。広津和郎がたしか“さまよえる琉球人”(ウロ覚え?)を差別の文として自己批判し絶版したことをしっている。聞いた当時「ふーん」と思った程度だった。新城さんの話で私は「知らなんだ」ことを深く恥ずかしく思った。差別した側の人間の「ノー天気」を恥ずかしく思った。

2.「アジア平和文化フェスティバル in 沖縄」(11/10、11、12)へ
 私たちヤマトンチューはずっと沖縄を植民地として支配してきた。今日基地を押し付けることで沖縄の人々の犠牲の上に「平和と安全」を手にしてきている。私は11月の「沖縄集会=アジア平和文化フェスティバル in 沖縄=シンポジウムと文化交流」はたいへん意義深いものと考えている。
 考えてみると沖縄と日本は不思議な関係だ。
 第一、沖縄は「琉球王国」で王朝の歴史400年、500年とある。民衆への支配はかなり強権的だったようだが、王朝が続き統治してきた。「琉球人」の自意識があった。この王朝史は軍隊なしに貿易で「利」を得て、外交力で生きた歴史をもつ。
 第二、中国、中華の文化圏にあった。琉球は清の冊封体制にあった。科挙制度はなかったが、冊封をとおして清の文化のもとにあった。軍事的に薩摩の支配のもとにおかれ、清と二重支配の中で東北アジアの交易外交で生き抜いた国であった。
 第三、明治に入って「琉球処分」で日本に併合された。その後日本支配の中で、差別と植民地的状況におかれ、戦後は米軍の統治のもとで生きた。
 第四に1945年から72年まで日本国憲法の法体系になく、米軍の法であった。72年日本へ復帰したが軍事基地は残り、産業、経済、インフラは遅々として進まず、今日に至っている。このまま基地と治外法権と地位協定は残されたまま、これから50年、60年と続くのか。
 以上のことを認識しつつ、「沖縄からアジア太平洋全域」の平和と人々の交流を考えることの意義を深くかみしめたいと思う。

 多くの人が「フェスティバル in 沖縄」への参加を!!

powered by Quick Homepage Maker 4.81
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional