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2014.7.05⇒

7月4日 ロナルド・ラグァーニャさん歓迎の集い
動画(ラグァーニャさんあいさつ):https://www.facebook.com/photo.php?v=10202301991783406&l=778260341423605228
140705 講演プログラム

『グアム その歴史、文化…』

日本の占領、スペイン、アメリカの植民地支配、

チャモロの人々の現在とこれから…

グアム先住民チャモロの活動家、大いに語る!

講師: ロナルド・ラグァーニャ氏(Mr. Ronald T. Laguana)
* グアム教育省チャモロ学習局長。先住民族チャモロの人たちの権利を守る活動家としてチャモロのカヌー復興運動、米軍基地反対運動、チャモロ漁業権維持運動などの活動を行なっている。
*ロナルド・ラグァーニャ氏招聘事業は一般財団法人大竹財団の助成を受けています。

チャモロの人びとの島であったグアムは、スペイン(1565~1898年)と米国(1898~1941年)に植民地支配され続け、1941年12月から1944年7月までの2年7カ月間は日本の軍事占領下に置かれた。

その後グアムは米国領となるが、1950年、アメリカ合衆国議会により「グアム自治基本法」(Organic Act of Guam)によって主権に制限を受ける。現在は「アメリカ合衆国自治的・未編入領域 (organized unincorporated territory)」という政治的地位になっている。

島の三分の一が軍用地という米国の実質的な戦略的在外基地となっている。沖縄の米海兵隊約五千人規模をグアムに移転することもすでに決定されており、それに伴う基地増強計画も新たに進められている。現在グアムの地元経済は、観光と基地の存在によって潤うという構造になっている。

こうした状況をグアム先住民族チャモロの人々はどのように受け止めているか。“消滅”の危機に直面しているチャモロ語とチャモロの文化についてどのようにしているのか。また、日本軍の軍事占領はどのようなものであったか。チャモロの人たちは日本軍による軍事占領についてどのように思い、現在はどのように考えているか…。

日本であまり知られていないそうしたグアムの歴史と現状および先住民チャモロの人たちの今後について、また、グアムと同様に米軍事基地を抱える沖縄など日本における米軍基地・日米軍事同盟関係を私たちの問題として捉え直し、考えます。

<グアム・チャモロに関する参考資料メモ>
グアム(英語: Guam、チャモロ語: Guåhån)はマリアナ諸島最大の島で、その南西端に位置する。海底火山によって造られ、北部は珊瑚礁に囲まれた石灰質の平坦な台地、南部は火山の丘陵地帯。最高所はラムラム山で標高406m。海洋性熱帯気候に属しており、年間を通して高温多湿で年間平均気温は約26度。

【日本軍の軍事占領に関して】(1941年12月10日~1944年7月20日)
(注) この項は、『グアム・チャモロの歴史と文化』(中山京子・ロナルド・ラグァーニャ共著、明石書店、2010年) を参照し、一部抜粋・編集して作成。

1941年12月8日(ハワイ時間の7日午前7時55分)、日本海軍連合艦隊機動部隊は真珠湾を奇襲攻撃した。攻撃開始から5時間後、日本海軍飛行隊はグアム攻撃を開始し、海岸に点在する米軍施設を破壊。12月10日未明に日本兵約5,000人がグアムに上陸した。グアムは、米国領が日本軍によって「直接占領」された唯一の地となった。

1941年12月10日に始まった日本軍によるグアム島軍事占領は、1944年7月21日に米軍がグアムに再上陸して島を奪還するまでの2年7ヵ月間続いた。日本軍は警備隊を組織し、島を「大宮島」(おおみやじま)と呼び、行政実務を行う民生部を置いた。島を1市1区14村に区分し、それぞれ日本語の地名(たとえばハガッニャを明石など)をつけた。

日本軍はチャモロの人たちに対し、飛行場造成、稲作労働、食糧提供等を強いただけでなく、英語の使用禁止、ラジオ所有の禁止など、日常生活を束縛した。チャモロの人びとは、日中、日本軍の監督のもとで労働し、夕方から自宅の畑や家畜の世話をし、そして家族用の作物までも供出させられた記憶を持つ人も多い。

島内に15の国民学校が開設され、子どもたちは毎日4時間、大人は週に2晩学校に通い、日本語、日本文化、算数を学ぶことが求められた。子どもたちはおもにカタカナ筆記を学習した。お辞儀の練習は厳しく、生徒たちは教室に掲げられた天皇の写真に毎朝、礼をすることが求められた。外で役人や警察の出会った時は帽子をとり、45度でゆっくりとお辞儀をし、天皇と皇室一家のために身体を北に向けて90度のお辞儀を厳かにするよう求められた。

米軍がマリアナ諸島に向かって反撃を強め、日本軍にとって戦争が悪化すると、さまざまな理由で拷問にかけられた。日本軍はチャモロの人びとに塹壕・砲台を造らせ、重い物資の運搬をさせた。食糧不足、米軍上陸の恐怖にかられ日本軍は、南部のメリッサ村で、家族に米軍関係者がいる人は、リーダー的存在の人を集め、洞窟に押し込み、手榴弾で殺害するといった行為を二度にわたって行った。日本占領中に約700人のチャモロの人びとが日本軍によって殺害されたといわれている。

米軍による攻撃に備え、日本軍は島の中南部に作った強制収容所にチャモロの人びとを連行した。強制労働によって作った塹壕などの情報が漏洩しないようにとも言われている。この強制収容所は十分な食べ物がなく、衛生状態も悪く、チャモロの人たちが解放を願って米軍機を見上げるだけで処罰されたとも言う。

2年7ヵ月の間に日本軍はチャモロの人びとに心身ともに大きな傷を負わせた。その結果、米軍再上陸後、生き延びてジャングルに散った日本軍兵士をチャモロの人びとに救いの手を差し出してもらえることはほとんどなかった。米軍再上陸によってグアムは米国領となり、その米国が日本の戦争被害について免責したため、チャモロの人びとは日本政府から謝罪も補償も受けていない。

【グアムの米軍事基地と沖縄海兵隊のグアム移転に関して】
グアム島は、米軍の太平洋戦略上、重要な基地のひとつ。島の北東部に3,000m級滑走路が2本あるアンダーセン空軍基地、西部にはアプラ海軍基地、通信基地、弾薬貯蔵施設があり、島の約三分の一が軍用地となっている。朝鮮半島、台湾、南沙諸島、フィリピン、インドネシア、オーストラリアとあらゆる場所に緊急展開できる戦略上の要地であり、西太平洋の礎石として位置づけられている。

日米両政府は、2006年、米軍基地が集中する沖縄の負担軽減などを目的とする在日米軍再編計画を作成・合意した。当初は8,000人の在沖縄海兵隊を移転する計画であったが、2012年に合意内容を見直し、移転人数を4,000人と変更した。

移転にかかる費用の総額は86億ドルと言われている。米側が55億ドル、日本側が31億ドルを負担する。このなかには、自衛隊と米軍の共同訓練を想定してグアムや周辺の島に新設する滑走路やヘリパットなど部隊運用施設整備なども含まれる。移転開始は2020年代前半が見込まれている。

【チャモロの人びとと米軍軍事基地】
“400 years A PROPERTY,TODAY U.S.A. 1st TO DIA.WHY?
TIP OF THE SPEAR FOR U.S. DEFENCE.
INDEPENDENCE OR NO LIFE!”
(グアムは400年所有され、今はアメリカに所有されている。なぜ最初にしななければならないのか?合衆国を守るための槍の先端か?独立するか、命を失うかだ)
*『グアム・チャモロの歴史と文化』(中山京子・ロナルド・ラグァーニャ共著)56頁

“Guam is our HOME. Not US ‘Strategic’ out post!”
(グアムは私たちのホーム!アメリカの戦略的在外基地ではない!)
*『グアム・チャモロの歴史と文化』(中山京子・ロナルド・ラグァーニャ共著)

画像の説明

<アジア太平洋・平和文化フォーラム、3年の歩み>

<フォーラムの目的>

*「平和」を願う人びとが集い、互いの理解を深め合うことが、「平和の礎」と
 の考えのもと、国内の人びとと、かって日本の侵略の地であったアジア太平洋
 の人びととの様々な交流をすすめます・・・例;国内各地の人々との平和交流
 平和史跡めぐり、写真展や平和シンポジウム(環境、原発問題などを含む)、
 海外への平和交流の旅、 日本の音楽家や芸能団と海外交流公演、また海外の
 音楽家や芸能団との交流上演会、等など。
*人びとの幸せと自由を奪う戦争の悲劇を繰り返さず、再び加害者となることを
 許しません。
*この目的に賛同する個人や団体のだれもが、入会することができます。

[2011年]
7月 9日 アジア太平洋・平和文化フォーラム発会式 名古屋女性会館/参加120名(韓
     国9名、中国1名)
9月21~25日 「アジア平和と文化フェスタ inマニラ」参加の旅/30名
9月23・24日 マニラ・フィリピンノーマル大学(協賛)/200名余(日本32名、韓国14
     名、スリランカ舞踏団、フィリピン歌劇集団、地元参加多数)
[2012年]
3月21日 沖縄本土復帰40年プレ企画「沖縄は今…」 名古屋・泡盛王国/参加24名)
3月25~29日 「中国民間・アジア平和文化交流の会発足式」参加の旅/16名 
3月28日 中国民間・アジア平和文化交流の会発足式 南京民間抗日戦争博物館ホー
     ル/参加90名(地元市民・学生・研究者、日本と韓国からの参加)
4月 2日 河村たかし名古屋市長「南京事件否定発言」に関する公開質問書提出
5月15日 沖縄復帰40年を考える集い 名古屋市女性会館/参加120名
7月 7日 ライブコンサート“琉球の風”~歌と踊りと語りの集い名古屋・泡盛王国/40名
11月9~13日 アジア平和文化フェスティバルin沖縄 沖縄名護・名桜大学ホール/参加
     150名
11月14日 アジア平和文化フェスティバルin名古屋 名古屋市女性会館/50名
[2013年]
2月22日 韓日共同企画・親善交流を進める旅;」~今こそ韓日親善交流をいっそう深
     くすすめよう~発表
4月28日 「いま“慰安婦”問題ってなあに」の集い(協賛) 
9月 2日 名古屋河村市長「南京事件否定発言」に関する再質問書を提出
9月27~30日「中国民間・アジア平和文化交流の会発足1周年行事」参加の旅/22名
9月29日 1周年記念フォーラム「民間交流で平和なアジアを切り拓く」 南京民間
     抗日戦争博物館/参加50名(地元市民・学生・研究者、日本;からの参加)
10月17日 名古屋河村市長に「2012年2月の南京事件否定発言」に対する抗議と撤回要
     請書を提出
11月8~10日 アジア平和文化交流の会・韓国3周年「アジア・韓国市民平和のつどい」
     参加の旅/16名
11月9日 アジア平和文化交流の会・韓国発足3周年記念「アジア・韓国市民平和のつ
     どい」 ソウル・中区庁ホール/参加170名(韓国市民・芸能家・研究者、日
     本、中国からの参加)
[2014年]
1月30日 日韓共同企画・今こそ韓日親善交流をいっそう深くすすめよう~
     「韓日親善交流を進める旅・ソウル3日」改訂企画発表
3月23日 いま、ハルモニから若い世代へ~日本軍「慰安婦」問題を考えるつどい(協
     賛)名古屋・東別院ホール/参加520名
7月5日  フォーラム発足3周年プレ企画・映像と講演の夕べ「ご存知ですか?グアム
     その歴史と文化・・」 イーブル名古屋大会議室/ .
[これからの3周年記念行事]
2014年10月16~20日 韓日交流・朝鮮通信使の旅5日
  ~アジア平和文化交流の会・韓国、アジア太平洋・平和文化フォーラム共同企画~
  ・・・釜山(2泊)―対馬(1泊)―壱岐―唐津(1泊)
2014年11月29日 「ストップ・ザ・戦争への道」アジア平和連帯の集い(仮称)
  ①いまアジアの声を聞く ②楽しい交流は平和の力 名古屋YWCAホールPM:1~5.
2015年2 or 3月 「グアム先住民族チャモロの人々を訪ねる旅」・・・企画中!

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