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2015.2.14⇒

朝鮮日報 日本がドイツと異なる道を歩んだワケ
 
 今月半ば、李明博(イ・ミョンバク)大統領による独島(日本名:竹島)訪問と、天皇に対する謝罪要求発言が日本を大きく揺るがせた。次期首相の有力候補とされる民主党の前原誠司政調会長は「天皇は国家元首」とまで主張した。
 日本の敗戦後、米占領軍が日本統治に利用するために維持した天皇制は、日本の保守化と極右化をあおる時限爆弾のような存在となっている。
 日本は終戦から67年間、戦時中に自分たちが犯した悪行に対して心から謝罪していない。これに対してドイツは第2次世界大戦での敗戦後、戦犯に対する責任を徹底的に追及した。
 ドイツの政治指導者たちは機会あるごとに過去の悪行を謝罪し、最近はナチ収容所で働いていた人の子孫までもが謝罪している。
 今月29日は、日本が韓国を強制併合した庚戌國恥から102年目となる。天皇の戦争責任から顔を背け、同じ戦犯国であるドイツとは完全に異なる道を歩んでいる日本が、これまでどのような道を歩んできたのか振り返ってみる。

 「朕は米国と英国に宣戦を布告する。朕の陸海軍将兵は全力を尽くして交戦に臨み…」
 1941年12月8日、昭和天皇は宣戦布告の詔勅を下した。植民地・朝鮮に徴兵と徴用、日本軍慰安婦の出現をもたらし、数千万人のアジア人を死に追いやった太平洋戦争の始まりを知らせる詔勅だった。
 昭和天皇は1975年のインタビューで「戦争開始のときはすでに閣議で決定が下されていた。私はその決定を覆すことができなかった。これは日本の憲法条項に合致すると信じる」とする一方「戦争終結は私自らの意志に従って決めた」と述べた。
 太平洋戦争の責任を否定する一方で、自らを戦争を終わらせた平和主義者であるかのように発言、行動したのだ。
 しかし昭和天皇は、明治憲法では軍の統帥権を行使する大元帥(11条)であり、大臣の補弼を受け権力を行使する最高権力者(55条)とされていた。
 宣戦布告も憲法上、天皇に属する権限だった。海軍侍従武官だった城英一郎は、開戦の詔勅を発表して日本が真珠湾を攻撃した日、昭和天皇のスケジュールを時間単位で日記に記録しているが、その中で「きょうは終日、海軍服で拝謁を受けられた」と記載していた。
 戦争を終わらせた平和主義者・昭和天皇のイメージも実際とは異なる。
 敗色が濃厚となった1945年2月14日、昭和天皇は戦争を終結させるため直接動くことを提案した近衛文麿元首相に対し「(戦争の終結は)改めて戦果を上げてからでなければ、話をするのは難しい」として拒否した。
 同じ日に昭和天皇は「この戦争は最善を尽くせば勝てると信じているが、そのときまで国民が持ちこたえられるか、それが心配だ」と述べたという。
 1931年9月、中国侵略の序幕となった満州事変が勃発したが、昭和天皇はこれにも責任がある。内閣の同意なしに軍事行動に乗り出した関東軍を制止するどころか「今回はやむを得ないが、今後は注意せよ」と述べるにとどまったのだ。
 昭和天皇は翌月、主な戦場となった遼寧省錦州への爆撃を裁可した。これは第1次大戦以来、初めて行われた都市への爆撃だった。
 当時、昭和天皇の側近だった奈良侍従武官長の回顧録には、昭和天皇は「錦州周辺で張学良の軍隊が再び組織された場合、戦線が拡大するのは致し方ないのか。もし必要なら、戦線の拡大に同意できる」と述べたと記録されている。
  さらに昭和天皇に対しては、日中戦争と太平洋戦争での捕虜虐待や毒ガス使用にも責任があるとの見方もある。著書『昭和天皇』でピューリッツァー賞を受賞した米国の歴史学者ハーバート・ビックスは「日本は1929年に戦争捕虜の虐待を禁じたジュネーブ条約に調印した。
 そのことを昭和天皇は知っていたにもかかわらず、軍に対して大量虐殺や捕虜虐待をやめるよう命令しなかった」と主張している。
 昭和天皇は1937年9月11日付で、参謀総長を通じて化学兵器特殊部隊を上海に配備するとの命令を下し、その後1938年には中国やモンゴルの主要な戦闘地域で毒ガスが広範囲に使用された。
 ハーバート・ビックスは「毒ガスは日中戦争中、昭和天皇・大本営・統帥部が徹底して管理していた兵器だ。通常は天皇の裁可が下されてから、参謀総長の指示が下され、大本営陸軍部を通じて現地の軍に運び込まれていた」と主張している。
                    金基哲(キム・ギチョル)記者/2012.08.25

昭和天皇が戦犯として処罰されていたら・・・韓国の学界、日本が歴史問題を清算できない「諸悪の根源」との見解が有力

 日本が歴史問題を清算できないことについて、韓国の学界では、日本の帝国主義の頂点に君臨した昭和天皇が、戦犯としての処罰を免れたためだとの見解が有力だ。
 
 ソウル大東洋史学科のパク・フン教授は「もし昭和天皇が戦犯として処刑されるか、少なくとも退位させられていたら、もっと多くの関係者が処罰を受けたり、公職から追放されたりし、その後日本国内で戦前の行動に対する批判的な意見が形成される上でもプラスになっただろう」と主張した。
 パク教授は「日本社会での天皇の地位や象徴性を考えると、もし外部の手によって天皇が処罰を受けていたら、その衝撃は計り知れず、相当な変化をもたらしていただろう。過去の歴史に対しても、はるかに前向きになっていたのではないか」と説明した。

 また、北東アジア歴史財団のイ・ウォンウ研究員も「天皇がどのような形であれ、戦犯として処罰を受けていたら、関連文書も全て公開され、その過程で責任者についても判明し、幅広い戦犯の清算が実現していただろう」と主張した。
 イ研究員は「戦争の第1の責任者がそのまま生き残ったことで、ほかの戦犯たちも再び国家の要職に就き、戦犯集団に事実上の免罪符を与える結果となった。昭和天皇が処罰を受け、天皇制が廃止されていれば、日本も民主共和国に移行していた」と指摘した。

 これに対しパク教授は、天皇制については「昭和天皇が処罰を受けたとしても、天皇制は維持されただろう。天皇が日本社会で占める地位は非常に大きいため、昭和天皇の弟や息子が次の天皇となり、制度上は変わらなかったのではないか」との見解を示した。

 一方、国民大国際学部のキム・ソクヨン教授は「昭和天皇に戦争責任を問うことができなかったのは残念だが、日本が歴史問題の清算に失敗した原因を、昭和天皇の不起訴に求めるのは、状況を単純化しすぎている」と指摘した。

 また、韓神大日本学科の河棕文(ハ・ジョンムン)教授も「天皇制が諸悪の根源だというアプローチは、韓国が日本の責任を追及する側面でも、交渉の選択肢を狭めることになりかねない」との見解を示した。
 河教授は「天皇を処罰しなかったこと自体は、歴史の清算が不十分だったことを示すものだが、天皇が処罰されなかったために、現在の指導者たちが歴史問題に対し誤った認識を持っているわけではない」と説明した。
                  全炳根(チョン・ビョングン)記者/2012,08.25

中央日報【コラム】戦争犯罪の前でドイツとあまりにも違う日本

 実際、韓国人はすでに知っていた。一部の日本の政治家が慰安婦強制動員の事実をいつか否定することを。したがって、日本の政治家が最近、日帝の侵略・残虐行為を否認する歌を合唱しても、日本の右翼の素顔だからと思うだけだ。過去の問題で彼らを信頼できないという事実を改めて確認したにすぎない。
 ところが疑問が生じる。同じ第2次世界大戦の戦犯国家だが、日本とドイツはなぜこれほど違うのか。ドイツはノルマンディ上陸作戦、スターリングラード戦闘の犠牲者を称える戦勝国行事に政治家がほとんど毎年参加する。ナチスはドイツ人にとっても敵であることを明確にしている。日本の政治家に国際感覚があるのなら、隣国の太平洋戦争追悼行事に参加し、二度と侵略戦争をしないと約束しただろう。しかし実状はそれどころか、敗戦日の8月15日にA級戦犯の位牌を合祀した東京靖国神社で頭を下げる人が少なくない。その前では、旧日本軍の服装をした、侵略を象徴する旭日旗を持った高齢者が行進する。気の毒だ。こういう姿のため、国際社会で日本のイメージがひどく悪化しているというのに…。これを知らなければ、ギャグコンサート番組に出てくる‘町内の馬鹿ミョンフン’と同じで、もし知りながらもそうしているのなら‘勇敢な野郎たち’だろう。
 ドイツでナチスの旗を掲げて行進すれば司法処理対象だ。ドイツはもちろん欧州のほぼすべての国は、過去のナチスによるホロコーストを否定する発言をしたり文章を書くだけでも処罰する。西欧でこれはグローバルスタンダードだ。ドイツ極左赤軍派出身から極右に転向したホルスト・マーラーは09年3月、ホロコーストを否定した罪でポツダム裁判所で懲役5年型を言い渡された。英国人作家リチャード・アーヴィングは同じ罪で、05年に第3国のオーストリアで逮捕され、13カ月間服役した。フランス大統領選に出馬した大物極右政治家ジャン=マリ・ルペンもこうした発言をし、フランスとドイツで罰金刑を受けた。良心の自由や表現の自由という弁論はここには適用されない。
 代表的なホロコースト否定発言は「ナチスはユダヤ人を絶滅させるための公式的な政策を出したことはない」「生存者の証言は不正確または矛盾するケースが多くて信じられない」「ホロコーストはユダヤ人が支援を得るために騒いでいるものだ」などだ。ここでユダヤ人とホロコーストをそれぞれ韓国人と慰安婦、または中国人と南京大虐殺に変えれば、現在の日本の一部の政治家の妄言とほぼ一致する。ホロコースト否定に対する処罰はグローバルスタンダードだが、日本では政治家が率先して慰安婦や南京大虐殺否定発言を続けている。

 第2次世界大戦後、ドイツは徹底的な脱ナチス化を追求し、ナチスの蛮行を子どもに教えている。過去の反省を通じて、隣国との進取的な未来を構想したのだ。しかし日本は脱軍国主義化と過去の歴史の反省、真実教育を拒否し、恥をかいている。
 特に一部の日本の政治家は、韓国政府が独島(ドクト、日本名・竹島)問題に明確な態度を見せると、慰安婦強制動員の自国政府の責任を認めた河野談話を修正するという発言をしている。こうした戦争犯罪である慰安婦問題を、日帝が初めて強奪した韓半島領土の独島問題と連結したのは、両事件ともに侵略行為であることをよく知りながらも、そうではないと言い張っているという意味だ。
  それなら今は韓国をはじめとする東アジア諸国が一緒に、グローバルスタンダードの確立に動くべきだ。日本の太平洋戦争侵略と残虐行為を否定する人は、もうどこの国でも逮捕し、処罰できるように立法措置をする必要がある。ナチス戦犯を公訴時効なしに追跡して断罪するように、太平洋戦争当時の反倫理的戦争犯罪も同じように扱ってこそ当然だ。

 元慰安婦の女性が老後生活をしている京畿道広州の「ナムヌの家」をユネスコ世界文化遺産に登載する準備もしなければならない。1992年にソウル麻浦(マポ)に設立され、95年に移って定着したところだ。今は消えたアジア各国の旧日本軍侵略現場の代わりとし、ここを性的奴隷犯罪の象徴的な場所に指定しよう。将来、元慰安婦の女性が全員亡くなっても、ここだけはずっと残して、歴史を証言する場にしなければならない。ドイツが最近、ナチスのブーヘンバルト収容所の文化遺産登載を申請したように。歴史は記憶する人のものだ。
                       チェ・インテク論説委員/2012.9.07

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