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2016.1.01⇒

ポーランド・ドイツ訪問報告Ⅱ
『 ホロコーストと戦争責任 』

池住義憲/2015年12月25日
https://www.facebook.com/yoshinori.ikezumi

(第一部:アウシュヴィッツを訪ねて…)

※前回報告Ⅰ 2015.12.15⇒

「過去」再検証
 ヒトラー・ナチス政権は、なぜこのようなホロコースト(Holocaust、大量虐殺)を起こしたのか。強制労働を通した殺害、毒ガスによる虐殺、銃殺、生体実験・人体実験による殺害、収容所および死の行進での餓死、“生きるに値しない”とみなされた障害者・同性愛者の殺害、“劣等人種”と断定したシンティ・ロマ人(“ジプシー”と呼ばれ差別視されていた人々)の殺害、等々…。

 ホロコーストは、ナチス・ドイツだけではない。大量虐殺/無差別殺戮という点では、状況/内容は異なるが、以下のものも当てはまる。
  ・石井四郎731部隊(1932~1945年)
  ・南京大虐殺(1937年)
  ・重慶/四川省無差別大爆撃(1938~1944年)
  ・三光作戦(1940~1943年)
  ・米国によるB29爆撃機による日本本土空襲(1945年)
  ・広島・長崎への原水爆投下(1945年)
  ・911事件後の米英主導によるアフガニスタンやイラクへの空爆(2001年~)、等々

 ナチス・ドイツによるホロコーストがなぜ起こったのか。戦後70年である今年の最後に、今一度、「過去」を訪ねてみる。ヒトラーは1925年発刊の『我が闘争』で、「ユダヤ人問題の認識と解決なしには、ドイツ民族体再興の企ては無意味であり、不可能である」と記している。

 ヒトラーは、世界支配の権利を持っているのは疑いなくドイツ民族であること、その最大の障害がユダヤ人であること、「アーリア人の勝利(撲滅)か、ユダヤ人の撲滅(勝利)か」この二つの可能性しかない、と断じている。何故このようになったのか…。20世紀初頭からの世界の動きを読み解いてみる。

 19世紀後半以降のヨーロッパは、英国、フランス、ドイツ、イタリア、ロシアなど列強諸国による植民地獲得競争の時代だった。1914年6月、バルカン半島で起こった一事件(サラエボ事件)をきっかけとして、第一次世界大戦に。ひとたび戦争が起こると、列強各国は自国の支配圏拡大に結び付けようとし、戦線はヨーロッパから中東、中国、米国、そして日本にまで拡大。1918年まで続く。

 第一次大戦で敗れたドイツは国土の1割以上を失う。巨額の賠償金が課せられる。経済は破綻し、社会に大きな不満が広がっていく。この頃、ヒトラーが獄中で『我が闘争』を書く。右派政治家は、民主主義、社会主義、共産主義への嫌悪感を煽る。同時にユダヤ人をドイツ社会混乱の原因とし、ヨーロッパにユダヤ国家建設を企む悪の根源だ、との宣伝を展開する。ヒトラーのドイツ労働党(ナチス党。後の国家社会主義ドイツ労働党=ナチ)はその中心だった。

 経済・社会情勢は、さらに悪化。多くの失業者たちは、民主主義に対する不信感を強める。ヒトラー率いるドイツ労働党は1931年の選挙で37%の議席数を得、1933年1月、ヒトラーが首相に就任する。すると、事態は一変。

 ナチス党は、急進派の国粋主義政党との連合で議席の過半数を獲得。1933年3月には全権委任法を成立させ、すべての権力を集中させる。ナチス・ドイツによる恐怖政治の始まりとなった。学校ではユダヤ人排斥を増長させる教育が始まる。1935年には、ユダヤ人の市民権を剥奪するニュルンブルグ法を制定。「ドイツ人の純血はドイツ民族存続に条件である」と同法で規定し、ドイツ人のユダヤ人との婚姻や性的関係が禁じられる。

 そして1939年9月、ナチス・ドイツはポーランドに侵攻し、第二次世界大戦へ突入。ヒトラーが戦争(第二次世界大戦)を始めた目的は、二つ。第一は、東方へドイツ経済圏を拡大すること、第二は「ユダヤ人問題」を解決すること、ドイツ人生活圏からユダヤ人を排除すること、であった。

 敗戦による国土破壊と巨額な賠償金。それによる経済破綻と失業。社会への不安・不満が充満。極端な民族主義/国家主義の台頭。自民族純血主義が他民族排他主義を生む。そして、軍事力行使(戦争)、ホロコースト…。こうした構造・構図、状況は違えど、現在はどうか。歴史は繰り返されていないか。繰り返されようとしてはいないか。

 20世紀前半の歴史再検証、過去再訪問に続いて、現代を再検証してみる。

「現代」再検証
  “ナチズムは壊滅した。もう終わりだ。
  その思想は、私と共に消滅する。
  だが100年後には、新たな宗教のような国家主義的、
  社会主義的思想が誕生するだろう”

 これは、1945年4月30日にヒトラーがベルリンの総統地下壕で自殺する二日前に残した言葉。70年経った今は、どうか。ヨーロッパでは、「移民排斥」を掲げる極右政党に市民の支持が急増している。去る11月13日のパリ同時多発テロ以降、とくに!

 オランド仏大統領は多発テロ事件を「戦争行為」と断定し、すぐに非常事態を宣言。そして、過激派組織「イスラム国(IS)」への空爆を開始。各国首脳も一斉に、「テロとの戦い」を改めて宣言。イギリスとロシアは、フランスの空爆を支持して協力を表明した。

 フランス国内では、極右政党「国民戦線」が支持を拡大。テロへの懸念から、「移民排斥」を掲げてフランス全土で400万人が参加する前例のない大規模抗議デモが実施された。国家非常事態法など個別法の改正と並行して、テロに対応するための「非常事態」項目を加えるなど、憲法改正の準備に着手している。

 極右政党の台頭と「移民排斥」の動きは、ここ1~2年間、オーストリア、ベルギー、ハンガリー、ポーランドでも同じだ。債務危機の長期化で社会の閉塞感が広がっていること、好転しない経済・雇用情勢、移民問題…。極右政党が、こうしたことに不満を募らせる市民の受け皿になって台頭してきている。

 米国では、2016年11月の米大統領選に向けて、「イスラム教徒の入国禁止」を唱える不動産王ドナルド・トランプ氏が、共和党候補者指名争いで独走。社会の不安や不満を吸って膨らむ風船のようだ。
日本でも、近年、在日韓国・朝鮮人へのヘイトスピーチ(憎悪表現)など、排外主義的主張を強める団体/グループが後を絶たない。安倍首相は、こうしたヘイトスピーチを規制する新規立法や、難民受け入れについては及び腰。対応は鈍い。

 反イスラム・反移民・反難民の動きが、結果として「民族主義/国家主義」を台頭させ、それが更なる「他民族排他主義」へと繋がっていく。戦争が、自国民を守るためという理屈が立ちやすい排外主義/排他主義が高まって起こっていることは、過去の歴史事実が示している。

 「排他」「排除」は、反発と憎悪しか生み出さない。「空爆」は、犠牲と憎悪しか生み出さない。9条を持つ国日本として出来ることは、内戦の解決に向けた取り組み、貧困解消、格差是正、多文化理解&交流、平和教育など、たくさんある。

 歴史再検証、現状再検証の大切さを改めて痛感した。過ちを、惨禍を繰り返してはならない。繰り返えさせてはならない。

(つづく)
アウシュビッツ19

ポーランド・ドイツ訪問報告Ⅱ
『 ホロコーストと戦争責任 』

池住義憲/2015年12月30日
https://www.facebook.com/yoshinori.ikezumi

(第一部:アウシュヴィッツを訪ねて…)

ナチ犯罪に時効なし!

 ドイツがこの原則を確立したのは、1979年。ユダヤ人ら被害者が味わった苦痛や恐怖を考えれば、妥当な法律上の措置だ、との考え方に立っている。現に戦後70年経った今年8月、アウシュヴィッツ収容所のユダヤ人虐殺に関与したとして、94歳の元ナチス親衛隊員に禁錮4年の有罪判決が言い渡された。1979年以降今日まで、約117,000件の捜査を行い、約7,500件を立件した。

 日本と違うのは、連合国(米英仏ソ)設置の国際軍事法廷ニュールンべルグ裁判(1945年11月~1946年10月、12人死刑、7人禁固刑)後も、自国の司法当局によって戦争犯罪を訴追し、裁き続けていることだ。
ホロコースト(ユダヤ人らの大量虐殺)など自国の非人道的行為を反省し、繰り返すまいとする戦後ドイツの姿勢が表れている。国際的信頼を高めている要因の一つとなっている。

 ドイツの「戦後」は、1945年5月8日から始まる。この日はドイツ降伏の日またはドイツ解放の日と呼ばれ、「過去との対決」が始まった。不十分ではあったが、初めてユダヤ人に対する謝罪の姿勢を示したのは、1951年9月のアデナウアー首相による演説。

 演説一年後の1952年9月、ナチス政権のユダヤ人被害者に対する補償を取り決めた条約(ルクセンブルグ合意書)に調印。以後12年間、ホロコースト生存者50万人が住んでいたイスラエルに物資と資金で賠償金を支払う。

 1956年6月には連邦補償法を制定し、東欧諸国にも和解基金を設けて各国被害者に賠償金に支払いを続けている。これらは「被害者が生きている限り続く」とされ、今日までにドイツ政府が支払った賠償額は10兆円を超えている。そして被害者に対する賠償は、今も、今後も続く。

 「被害」とは、個人的な体験。それ自体が尊重されるべきこと。個人の被害者としての苦悩を政治的に利用することは許されない、と考えられている。過去に、自国が侵略を始めたこと、ホロコーストを行ったことは明白だから。

 メルケル首相は、本年5月2日、第二次世界大戦終結とナチスからの解放70年にあたり、ドイツ国民向けにインタヴュー形式のビデオメッセージを発表しました。次のとおりです。若い世代に歴史を継承しようとの思いを込めて。

 “二度と繰り返さないとは、一方でナチスの歴史、強制収容所の歴史、少数者や迫害を受けた人の歴史、ホロコーストの歴史を分析し、働きかけること。他方で、今日の我々の理想、価値観に注意をはらうこと”
 “歴史に終止符を打つことはできない。ドイツ人には、ナチス時代に引き起こしたことに注意を怠らず、敏感に対応する特別の責任がある”
 “被害国には長く続く痛みと懸念があることは当然ですし、よく理解できます。だからこそ、終止符があってはならない”

 先日(12月28日)午後、“従軍慰安婦”問題に関する日韓外相会談で、岸田外相が「この問題に終止符を打った!」と発言したのとは実に対照的です。

■歴史への向き合い方のちがい

 “歴史は人生の師。歴史が伝える事実をそっくり受け止め、その過程を知れば、同じ過ちを繰り返さずに済む”
 “過去に目をつぶる態度は、人類が憎しみや差別意識、民族間の争いなどの悲劇から学び築いてきたものを壊す”

 ポーランド南部のナチス強制収容所跡・マイダネク博物館副所長のことばだ(2015年11月4日 しんぶん赤旗)。ドイツ敗戦40周年にあたる1985年5月8日、ドイツ連邦議会で
「過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となる。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすい」と演説したヴァイツゼッカー大統領の言葉と同じ内容だ。

 ドイツと日本、地理的条件が違う。ドイツは地続きで国境を共にする9つの国に囲まれた国。日本は極東で海に囲まれた国。戦後の占領政策の違いは、大きい。ドイツは米英仏ソ4カ国に分割され、その後、東西に分割され東西冷戦の前線になった国。日本は実質的に米国に占領され、その後、対米追随で東西冷戦の西側陣営の基地として組み込まれた国。

 歴史への向き合い方、歴史認識に対しても、大きな違いがある。ワイツゼッカー大統領演説(1985年5月)や前回に紹介したメルケル首相演説(2015年5月2日)と、安倍晋三首相の「戦後70年首相談話」(2015年8月14日)を比較すれば、すぐわかる。負の歴史を背負う覚悟があるかないか、すぐわかる。

 歴史認識の違いは、そのまま、その後の施策・言動に反映する。ドイツでは、アウシュヴィッツ否定やナチス賛美、ナチス賞賛行為は違法(禁固刑5年以下の刑事罰)。戦争犯罪には時効なし(1979年以降)。ヒトラー著書『我が闘争』販売や、ヒトラー演説レコードCD等は販売禁止。ナチスの軍歌・ナチス式敬礼も禁じられている。ドイツ社会はナチスの思想を全体悪とし、この点については思想の自由を認めていない。

 日本はどうか。首相/国会議員の靖国神社参拝、歴史修正主義、日本会議、新しい歴史教科書を作る会、育鵬社歴史/公民教科書、等々。戦争犯罪に関しては極東裁判ですでに決着済み。賠償に関しては日韓条約(1965年)、日中共同声明(1972年)などですでに解決済み。一般市民の戦争被害補償、強制連行/強制労働問題も解決済み、としている。

しかしドイツは、強制労働被害者、戦時捕虜の強制労働者、戦時性的強制問題への補償・取り組みは残されている課題として今後も取り組む姿勢を示している。2000年に、これまで補償対象とされてこなかった強制労働被害者に対して財団『記憶・責任・未来』設立法を成立。国と企業が資金を出し合い、2001年以降現在に至るまで、ユダヤ人、ロマ人、同性愛者に対するヘイトクライム防止支援を行っている(『未来』の部分の活動)。

 2005年に、改正移民法を施行。以後、移民らとの統合社会づくりを進めている。ナチスのユダヤ人迫害の反省を踏まえ、難民保護を国是としてドイツ基本法(憲法)に規定している。

歴史教育のちがい
 "我々には当時の残虐行為の知識を広め、
 記憶に留めておく永遠の責任がある”

 メルケル首相は、2015年1月26日、アウシュヴィッツ強制収容所解放70周年の前日ベルリンで行われた式典での演説で、こう述べた。「永遠の責任」。重い言葉だ。この姿勢が、ドイツの「負の歴史」を次の世代に引き継ぐ力となっている、と私は思う。

 ドイツの歴史教科書は、子どもには残酷すぎると思われるほど、生々しい写真や証言が載せられている。ナチスが権力を掌握した過程や原因を詳細に記述し、ドイツ人が加害者だった事実を強調している。
その教科書を使った歴史の授業は、「暗記」ではなく「討論」が中心。『ドイツは過去とどう向き合ってきたか』(熊谷徹著、高文研、2007年)という本のなかで、一例が示されている。

 “教師は、床に折り重なりあったユダヤ人の遺体の写真などを見せながら:
  「この写真は何ですか?」
  「これらの写真をどういう言葉でまとめられますか?」
  「民族の間に優劣の差をつけることについてどう思う?」
  「ナチスがもっとも敵視した民族は?」
  「計画的な虐殺はなぜ行われた?」
  「当時ユダヤ人の弾圧には多くの人が直接・間接的に関わっていました。なぜ彼らはナチスの邪悪性が分からなかったのでしょうか?」、等々…”

 過去の検証を一国だけで行うことは、狭いナショナリズム(国家民族主義)の陥り易い。歴史事実の検証は、二国間対話で行うことがのぞましい。ドイツは、被害国ポーランドの歴史学者と協働して、両国間の関係史を教える教師用ハンドブックを作成した(1994年~)。両国の歴史学者は、数十回の合同教科書委員会を開催し、率直な意見交換と議論を繰り返した。

 フランスとは、2006年、初めて共同で独仏教科書を作成、発行した。1963年にフランスとの和解を確認する独仏協力条約(エリゼ条約)調印40周年を迎えた2003年に、独仏の政府首脳・議員たちが共同プロジェクトを始動させた成果であった。

 いずれも、戦後50年の歳月を要している。時間がかかることを恐れず、歴史事実に真摯に向き合った結果である。「歴史が伝える事実をそっくり受け止め、その過程を知れば、同じ過ちを繰り返さずに済む」(ナチス強制収容所跡・マイダネク博物館副所長)ことを、実践している。

   **

 去る12月28日、ソウルで行われた日韓外相会談。「慰安婦」問題を“決着”させるとして、被害者不在で“合意”された、とのこと。日本軍の関与と政府責任を認め、元「慰安婦」支援で韓国政府が新たに財団を設立し、日本政府が10億円拠出する、などとの表明。日韓双方は、この枠組みを「最終的かつ不可逆的解決」とすることを確認したという。

  “合意”には、「軍の関与」、「責任」、「心からのお詫び」(代読お詫び!)の言葉は語られはした。しかし、被害者が日本政府に対して望んでいた責任究明、「慰安婦」問題を歴史教科書へ記述する約束などについては、何も触れられていない。

 日本政府がすべき日本軍による「慰安婦」犯罪の真相究明、歴史修正主義再発防止措置に対しては、全く言及がない。問題解決のための合意に臨みながら、在韓日本大使館前の少女像(平和の碑)撤去または移転を譲らない日本政府。

  “合意”直後、被害者の一人が記者団に発した「私はまだ解放されていません!」の言葉、とてつもなく、重い…。

(つづく)

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