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2016.10.19⇒③

~アジア太平洋平和文化フォーラム5周年・シンポジウム~
東アジアから日本の憲法を考える
パネラーの発言

水野磯子 コーディネーター アジア太平洋・平和文化フォーラム 共同代表・事務局長
 「民衆の手で 文化の力で アジアに平和を!」をスローガンに、「アジア太平洋・平和文化フオーラム」は、2011年7月発足し、今年5周年を迎えました。
 フオーラムはこの間、アジア諸国、フイリピン、グアム、スリランカ、とりわけ韓国、中国の平和を志向する民間組織とは、より親密な関係を構築できてきました。
 アジア太平洋戦争における日本の侵略行為を反省し、日本国憲法とともに歩んでいる「二度と戦争をしない国づくり」は、世界平和を願う人々に歓迎され、かって侵略したアジア・太平洋の国々の人々への大きな安心の源となってきました。
 しかし、近年の日本の右傾化は、かって侵略された国々をはじめ国際社会に新たな緊張をつくりだしています。昨年の「日韓合意」に基づき韓国政府の財団準備委員会は6月からやっと始動。財団の理事長キムテヒョン韓国女性学会会長は「被害者の痛みに心から共感し、これに応えたい。」と。11人の委員には駐日韓国大使を務めた柳明垣元外交通商相や女性問題に詳しい弁護士ら9人、政府側からは外交省と女性家族省の担当局長も。また、「慰安婦」問題の記録を保存し後世に伝える「記念館」設立の構想も浮上し、「10億円では不足」の指摘もあるとか。
 いま、安倍政権が「戦争法」を通した後の緊迫した情勢をふまえて、ここにシンポジウム「日本国憲法を考える」をテーマにアジアの情勢の反映として日・中・韓のシンポジウムを企画しました。

160813 発言者2

呉先斌さん 中国南京民間抗戦資料陳列館 館長、中国民間・アジア平和文化交流の会会長
 皆さんこんにちは。私の気持ちは、とても良いとはいえません。私の資料館は、私財を投じて作った資料館です。中国で、民間人として初めて創った資料館です。資料館には、3つの独立性があります。まず、経済的にどこからも援助をもらっていません。思考も考えも自分の考えでやっています。運営も独立です。こんな形でやっているのは、中国では、まれというか全くないようです。日本でもこういう形でやっているのは、そう多くないと思います。多くの方からどうして私個人の考えで、一人で資料館をつくったかと、聞かれます。もし、政府が出資したら、政府のための、政治のための、を前提においてつくるに間違いありません。そういう形でつくった資料館は、政治のためのものです。本当の歴史を伝えることは、できないと思います。歴史の事実は、民衆には、伝えられないと思います。私の個人でつくった資料館の理念というか、思いはそこからです。
 今年で10年目になります。10年の中でのことをお話しすると時間がたりません。ぜひ、皆さま南京に来ていただいて、資料館を見に来ていただきたいと思います。
 私は、シンポに先立って、1週間前に日本に来て、京都、金沢、長崎、岡山を回わっているうちで気持ちが重くなっていることを実感。あまりにも今、右翼の勢力が伸びていて、皆さんのような、活動がずいぶん圧縮されていると感じました。中国のマスメディアよりひどいかなと感じています。
 金沢に行ったとき、右翼のつくった大きな大東亜記念碑が堂々と金沢の町につくられて、過去の侵略戦争を肯定しているような大きなものをつくっていました。その記念碑の一つの言葉が印象深く残っています。大東亜の精神を永遠に伝えていこう、という言葉でした。今の若い人たちが、その記念碑をみたら、どういうふうに、過去の歴史を認識するのか、過去の戦争は、正しかったかなととらえるかもしれません。
 宮崎県の平和台公園、戦争中につくられた、侵略のシンボルの碑にある、「八紘一宇」の4文字も金沢の碑に同じくきざんであります。「八紘一宇」はかつての日本の軍国主義思想のシンボルであったわけですが、金沢の碑にきざまれたことは、新しい軍国主義のシンボルではないかと思っています。
 そのため、戦争を正しく認識して、戦争を二度と起こさないために、このような戦争展を行う大切さ、重要さを感じました。みなさんの活動を中国の友人に伝えましたところ、戦争に反対する、戦争展の名古屋の皆さまを応援しています。
 こちらの民主団体と交流して、民間の文化交流と思っていたんですけれど、日本にこんな素晴らしいみなさんがいらっしゃることに対して、敬意を表したいと思います。皆さまのおかげで、日中の間に戦争は、起こっていません。今度いろいろな団体の交流の中で私のささやかな気持ちで1万円2万円寄付しています。
 今、安倍政権が、平和憲法を改悪しようとしているわけで、ますます右傾化になって、また戦争できる国にしようという情勢ですから、平和憲法を改悪されないように、と念じてみなさんと連携したいと思います。社会が右傾化になってしまえば、本当の戦争になってしまう、それを阻止するのもむずかしいと思います。ですから今日本政府がやっていることは、日本だけでなく、お隣の朝鮮半島、また、中国にも、かかわっていますので、3か国の民間人が手を携えて、平和のために、がんばらなくちゃいけないと思っています。みなさん、ぜひ、南京に来ていただきまして、ゆっくり交流したいと思います。

慮兪辰さん アジア平和文化交流の会・韓国 事務局長
 私たちは、昨日6名が韓国からやってきました。韓国が平和フォーラムをたちあげて6年目になります。3月に平和フェスティバルをおこないました。これからもよろしくおねがいいたします。
 私たちは、6年前に交流会をたちあげて、いろいろ活動してまいりましたけれど、毎月交流会を行っています。とくにこれだという活動をするということよりは、日本語を勉強する会として、日本語ができる人たちが集まって、いろんな平和・文化・歴史について、学ぶという時間をもっています。日本の金沢先生は、毎月交流会に参加してくださいます。平和活動というのは、市民の力でおだやかな平和な世界をつくっていくのだということで、韓国でもそんな交流会が必要だからと、立ち上げました。
 平和ということばを私たちが聞くときには、不思議なもちろん韓国でも使っておりますけれども、ちょっと、皆さまが考えていらっしゃることばとは、へだたりがあるように思います。なぜならば、今日、オープニングで、歌を歌ってくださった舞踊団に、みなさんが歓迎してたくさん拍手もおくってくださいましたけれど、私はそれをみながら悲しい感じがしました。なぜならば、世界唯一韓国だけが、同じ民族が分かれておりまして、北朝鮮、大韓民国があります。平和ということば自体が戦争がない状態ではなく、本当におだやかで自分の考えたとおりおだやかでいることができる状態と思っておりますけれど、韓国は、北朝鮮という政府それが1948年にできましたし、南のほうには1948年、3か月ちがうんですけど韓国がありまして、いつ戦争がおこってもおかしくない、という国が韓国でございます。
 そんな中で平和ということがどんな意味をもつのか、考えます。いったい平和ってなんですか。私が実際私が感じている平和について、申し上げたいなと思っています。2つにわかれている韓国を理解してください。韓国が2つにわかれてしまったという、日本の侵略戦争というのがあります。歴史的な史実というのがありまして、近現代史を回るこんなツアーで、日本で習っていないような、歴史的事実を見てくださるということで感動します。私そんな方たちといっぱい会いましたので、日本では安倍政権の憲法改悪を支持しながら、一緒に走っている人たちばかりじゃなく、憲法改悪に反対する皆さん方たちがいることにいつも期待しながら、韓国で活動していきたいと思います。
 最近感じているのは、韓国でだんだん言論の自由がなくなっていくんじゃないかと、1980年代その時代にだんだんもどっていくんじゃないかなという感じがするほど、韓国はきびしくなっているのでございます。本当に統一したいという思いが韓国の中ではあります。ですけれども、まわりの巨大国の政治的な政策によって、韓半島の政策が変わってくるんじゃないかと感じています。最近、危機感を感じるというのは、韓国の中ではサードの配置の問題だとか、中国ではサードの配置の問題で最近よくニュースされているのが、経済的に少し制裁をするというそんなこともありまして、今建国時代で中国に行ってよく活動する芸能人たちが、公演がキャンセルされてしまったということもよくありますね。そういう政治的なことが、結局経済的なことに繋がっていくんじゃないか。また、韓国でも自由に発言できる雰囲気がだんだんなくなっていくんじゃないかということを感じております。それはだんだん、日本を含めてアジアが戦争に向けて走っていく雰囲気じゃないか、それを止めるためには、みんなが力をあわせていかなければいけないんだと思います。
 私たち韓国では、いろんな市民団体が活動しています。が、私たち本当に弱い。小さい力ですけれども、日本に来てみると、民主団体の人たち、また平和憲法を守る人たちがたくさん集まって、今日もたくさん集まっていらっしゃるのをみると本当にすばらしい。これからも連帯して、私たちも東北アジアの平和のために、長く小さい力でも走っていきたい。また、平和を築くためには、交流だと思います。交流、あとふれあいということばも使いますけれど、一人一人の力が、本当に大きな力を発揮していると考えておりまして、今日も中国の方の前でお話をすることになっておりますけれど、これからも皆さまと連帯しておだやかな、世界をつくっていきたいと思います。これからもよろしくお願いいたします。

花井道男さん アジア平和文化交流の会・韓国 顧問、仁川景仁女子大学教授
 日本人です。愛知県で生まれました。韓国平和交流会の顧問をしています。
 最近、サードということがでて、皆さんご存じない方もみえると思うんですけれど、サードというのは日本語でいうと、新型の高高度ミサイル、実際攻撃をした時にそのミサイルを撃墜させて、そのための配備を今回、韓国のほうで行うということを決定したんです。田舎のほうで、ソンジュウというところで、配備するということになったんですが、非常に反対が激しいところで、国府総理が行ったんですけれど、卵とかいっぱいぶつけられて、大変な騒ぎになったんです。そういうこともありまして、中国との関係でも、サードの配置の関係で非常にむずかしくなってきている。北朝鮮のミサイルに対する防衛ということで本当は、サードというのが配備されたんですが、中国側は、そういうふうに受け取っていないんです。中国の高性能レーダーですね。中国を監視しているというように受け止めていて、韓国と中国の関係がギクシャクとしている。
 そういうことを考えてみると、憲法9条の内容を維持していくのは困難であるようにみえますけれど、しかし、防御の武器はあっても攻撃の武器はない。防衛戦争ということになったとしても、その動員の範囲が自衛隊だけでおさまるのかがでてくると思います。そういった意味で、こういう問題をどういうふうに解決していくのか、アジアの平和を考えて今、月にいっぺん集まっているんですが、もともとは、日本語に関心のあるメンバーが集まってきて、私がちょっと指導していたのが、だんだん意味が大きくなりまして。アジアの平和ということを考えていこうということになりました。
 韓国、中国、日本というのは、私が考えるには、血がつながっているんじゃないかと考えております。昨日も、息子と埼玉のこま神社にいってきました。こま神社というのは、1300年前に高句麗が滅んで、668年に1799人が、埼玉の北ののこま郡に住み着いたという。そして実際にこま郡ができたのが776年。百済においても、実際にどこに住み着いたかというと、滋賀県の琵琶湖の周辺です。琵琶湖周辺には、渡来人が多く住み着いている。文章によると、百済のリーダーたちが700人くらい、安土郡のがま郡にすみついたと。日本で唯一韓国のオンドルの遺構が発見されたのも滋賀県であります。そしてさらに、710年に平城京がつくられたわけですけれど、奈良という言葉も韓国語では、国という意味でありまして。少なからず、百済人の力によって平城京がつくられたと推測できるんじゃないかと考えることができます。そうして、日本の血というのが韓国から流れてくる。韓国はどうかというと、韓国の姓というのは286個しかありませんが、そのうち多くが、中国から移住して定住してそれが王とか、中国からの流れて韓国に来て、その韓国の移住者が日本に渡っていったと考えることができます。いかに中韓日が一つになって平和を築き上げていくか、そういう考えを持つ人たちが積極的に考え、集まりとかグループをつくって、ひろげていくことが重要じゃないかと考えています。
 私はまた、韓国で女子大で教鞭をとっていますけど、専任の中で唯一日本人は私一人だけです。だから色々なことがありました。「竹島は、どこの国のものだ」とか、ストレートに聞いてくる先生もいました。それで、竹島の専門の先生の講義聴きにいきました。私が挨拶をしても挨拶をしてくれない先生もいます。そういった中で私が一人の日本人として、教授として、アイデンティティを確立していくか、それが私の生き方だと考えています。同時に日本という立場で私の行動言動が、とても重要だと考えております。結論としては、憲法改正ということはおいておいて、平和をいかに築きあげていくか、という問題について中韓日は、親密な関係を築き上げていく必要があるんじゃないかということを思います。

金宗鎮さん 愛知朝鮮中高級学校 元校長、朝鮮社会科学者協会 元会長
 名古屋生まれで名古屋育ちです。この場所は、53年前僕の結婚式場でした。丁度どこの場所に、新郎・金宗鎮が立つておりました。左に、現在でも仲良くらしている「ひな子」という女性がいました。
71年前戦争が終わりました。その内容は、日本の敗戦。もうひとつは、アメリカとか、イギリスとか、ソ連の、世界大戦の連合国の勝利です。日本は、二つに負けているんです。日本人には、「あっ、15年戦争があったよ」という歴史は知つているけど、歴史の解釈はほとんど日本の国内には見当たりません。アメリカに負けたとばかり思っているんです。原爆に負けたと思っている。違うんです。日本を負かしたのは、連合国の強大な武力、そして、朝鮮・中国の独立運動、抗日運動15年の結果、日本は減んでいる。これを皆さんに話したい。
 戦後処理が、日本は曖昧なんですね。アジアに負けたという認識がないんです。アジアにひどいことをしたよ、ということはいっぱい言いますね。堀江貴文さんという乗っ取り屋さんが言っていました「日本は、アジアに負けたんだよ」。えらい立派な日本人もいるなと思った。ヘタナ学者より的を得ている。この認識が、日本では主流派ではないもんですから、戦後処理がないですね。「中国、朝鮮の独立運動に負けた」という認識があるならば、敗戦国日本は、それ相当な対価を払わなければいけない。そして侵略した日本人は、国家の侵略戦争を総括しなければいけない。もう一つ、独立を勝ち取った我々の方が、なぜ殖民地だったのか、日本と戦って何故勝てたのか、という総括をしなければいけない。この2つ、弱いですよ。例えば、ドイツとフランスは戦争した。負けたドイツ、戦後、戦犯を自分の力で精算しました。これが、大事なんですよ。日本の侵略は、日本人が精算しなければいけない。これが無い。「国策をあやまった」と、何かアメリカを相手にしたから負けけたように言う。朝鮮、中国は何をすべきか。日本の勢力の手先になった人たちがいます。フランスは戦後3万人も処刑しました、ナチスドイツの協力者を。日本の手先になった人たちを処刑することなく、思想、考え方を変えなければいけない。それを、中国と朝鮮はやったんです。韓国はまだやつていない。在日もあまりうまくいつていない。だから、民団をつくったとき、日本の警察の子分だった人が、幹部になったりしました。我々は独立したんですよ。だから、幹都になるような『精算』はありません。日本はどうですか。侵略の主流派一部の永久戰犯は、除かれましたけれど、大多数は残ったじゃないですか。今の偉い人もその遺伝子を持っているじゃないですか。これが日本の間題、我々の問題。これを清算しなければ、71年経っても、「朝鮮嫌い」「中国嫌い」、我々も、「日本嫌い」が残っている。これを子どもたちに残してはいけない。
 僕は、おばあちゃんが朝鮮半島から渡ってきた、在日2世です。3人の子どもと5人の孫をもうけています。彼らたちに、私たちⅠ世Ⅱ 世の苦労をずっと引き継いできた。我々は戦後何をしたか。日本政府は我々に戦後何もしてくれない。71年間、植民地状態、無権利状態、一番特徴的なのは民族教育を許していない。71年間、民族学校に通う生従たちに制裁、制裁。まず、定期券を売ってくれない。授業料、高いです。そして、朝鮮高校卒業しても「資格」がないです。無資格、就職できません。今でも変わりません。だけど在日の我々はしたたかにやっております。1965年に日韓条約が結ばれ、韓国だけは日本といい関係だから進展がありました、暮らしの上で。 僕みたいな頑固者の朝鮮は、働く場所もありません。民主主義憲法・平和憲法、みなさんにはなかなか見えない。在日なんて60万、ほんの0. 05 %ですかね。15年前わが家13 人は、僕の強い発言力と強制によってオール朝鮮でした。子どもたちは、なかなか朝鮮籍では暮らしていけない。うちの長男の職歴は20個くらいあるんですかね。就職してはクビ、就職しては首。今現在、14 人の家族の中で、韓国籍が8人、朝鮮籍は僕をを含めて4名。日本籍は1人。息子、企業を興しても、朝鮮、朝鮮とたたかれて、企業崩壊が普通。めんどくさいから日本に変えた。多国籍、我が家では日韓朝ですよ。一番話の合う3男坊が日本籍。しょっちゅう来ては、朝鮮半島の話とか、朝米の戦争が始まる話とか、朝中はどうなっているとか、丁々発止でやっております。それが日本籍。法務省から呼び出しがありまして、「あんた総連の仕事を長いことやっているが、息子を日本に帰化させていいのか」と。「はい、本人の意思であります」こんな調子ですよ。
 平和は、交流から始まる。南北の交流あり、朝中の交流あり、ブランルのコリアン、アメリカのコリアン、中国のコリアン、それから南北のコリアン。数十回いってまいりました。小さな力ですが、お互いに会って話す、これがいいですね。韓国に行ってきました。逢ったその日に仲良くなりますね。抱だきしめたり、お互いに。これが底の底に流れているパワー、希望なんです。イデオロギー、みんな違いますよね。僕は、社会主義大好き。社会主義大嫌い名人もいる。だけど、それはひとの勝手ですよ。 そういう人たちが、交流し合って平和をつくっていくんですよ。片一方を無くして、平和はありえませんよ。先ほど中国の方がおつしやいましたが、昔のだらしないアジアは存在しないです、今は。 好き嫌いを超えて、強いアジアが存在します。安倍さんは、強い日本を取り戻すといいますが、強い日本ってわからないですよ。今のアジアを制するほどの軍事力なのか、ソフトパワーでアジアの人々から愛される日本になりたいのか。平和は、友だちになること、知り合うことからしか始まらないと思います。日本の中で、朝鮮籍が95%、韓国籍は5 %未満でした。在日は全部、韓国出身ですが、朝鮮籍が圧倒的に多かったのです。生まれは僕も朝鮮籍なんです。平壌に生まれた人は誰もいません。しかし戦後、95%、朝鮮を支持する。今は、朝鮮を支持する者は、商売もできない、学校も行けない。という所に追いつめられたので、今は韓国籍が多くなりました。したたかな在日は、小さな力ですから、知恵を出す。日本籍に変えて、「北朝鮮はいいなあ」という人がいる。家庭内の話ですが、朝鮮籍の次男坊が一番だめです。日本のテレビの影響をうけて「アポジ、あれ何?なんでミサイル打つの?」とくだらん質間をします。 価値観はいろいろあります。我々は話合う。僕は、在日社会科学者協会の顧問と紹介されましたが、ブランルの同胞とも交流する、アメリカの同胞とも交流する、民団とも交流する、意見の違いはだいぶありますが、歴史の間題、政治の間題、統一の間題で話し合う。
 みなさんと同じように交流する。戦争の流れはそれを遮断する。これには、気をつけなければならない。僕は、アマチュアの朝鮮人囲碁協会の理事長をやっているんですが、ワンコリアンとして、朝鮮(総連)も、韓国(民団)も一緒にやりましようと、交流を3回ほどやりましたけれど、3回目に、領事館から主賓の韓国の女流棋士をお呼びしましたしが、3日前突如、辞退せよという圧力がかかりまして、「政治とは何の関わりもありません、交流です」と言ったけどダメでした。急きょ日本人のプロに変えて、大会は成功しました。遮断する力、交流する力、どちらが勝るかですよね。
 このスローガンは気にくわないんですよ。 「日中韓」、なんで朝鮮はないんだ。相手を無視してはいけませんよ。ののしって、平和はありませんよ。ざつくばらんに、にくけければ憎いと、意見が違うなら違うといって、どういう考えなのか聞いてみる。論語に「徳は孤ならず」という言葉があります。隣人を説く、この気持ちが大事じやないかと思います。「中国大陸」「朝解半島(韓国の人は、韓半島)」「日本列島」、この東アジアは世界をつくる未来だと固く信じています。そのためには市民交流、そして政権が、お互いに妥協点を見つけ出して生きて行く。絶対にアジアは平和、未来は輝かしい。

吉川春子さん 元参議院議員、「慰安婦」間題とジェンダ一平等ゼミナール 代表
 今5人の方のお話しを聞いておりまして、本当に心が痛む思いを致しました。戦争だけではなくて、71年間なお苦しめられ続けている日本はいったいどういう国なんだろう、私の祖国はいったいどういう国なんだろう、 そういう思いをしながらお話しを伺っておりました。
 今日は8月12日で、8月15日のいよいよ敗戦記念日も近づいてまいりました。実は、今週の月曜日に私の父が亡くなりまして、明日が告別式です。父は、105歳。明治43年、1910年に生まれ、その年は、韓国を強制的に併合した年でした。父の人生は、戦争に翻弄された人生でした。給料がいいからと、当時日本の支配下にあった棒太の警察に応募し、ここは落ち、警視庁に配置されました。しかし、肋膜という病気にかかつて、警察官をやめました。銀座にお店をもってやつと軌道にのったときに、太平洋戦争が始まり、東京大空襲が近しという時に店を捨てて、実家のある長野県に疎開をいたしました。この地で父に召集令状、赤紙がきました。病気のために3日で帰されましたけれど、近所の人に送ってもらつて恥ずかしいということで、勝手口からひそかに帰ってきたと聞いております。長野県庁の職員だったので給料は安い、多少田畑はあったけれど食糧難で、子ども3人かかえて、大変苦労して戦後をすごしたと思います。親戚には、戦死者も台湾からの引き揚げもおりました。そういう父でしたから、戦争には行かなかったので命があったことは、非常に私にとつては幸いだつたのと、中国の人を殺したんじやないか、慰安所に通つたんじゃないかと、こういう思いをしなくて済んだということは、大きな声で言ってはならないんですけれど、私のほっとした面なんです。私は、太平洋戦争が終わった時は4歳で、父と私の人生の決定的な違い、これは、自分の人生の中に戦争があつたか、無かったか、これは本当に大きな違いです。
 小学校に入った1947年に日本国憲法と教育基本法、今のは改悪されて悪い法になっていますが、素晴らしい教育基本法で、私は教育を受け、学校で君が代を歌ったことは一度としてありませんでした。父の人生を思い、父と同じ世代の人の人生を思うとき、私はなんて幸せな人生を生きてきたんだろう。多くの日本人が戦争の悲惨さを味わって、戦争はもうこりごりだと思っていました。安倍総理がなんと言おうと、世論調査では憲法九条を変えるべきではない、この考えが圧倒的に多いんです。こういう体験を日本は共有しているわけなんです。
 ところで、あの戦争に対して日本人はどの程度反省しているのか、私の育った長野県は、中国の東北地方満蒙家開拓団に全国トップで子どもたちを送り出しました。そしてその49%は、ふるさと信州の土地を踏むことはできなかつたんです。その満家開拓団を推進したのは、中心的には学校教育でした。信濃教育会が、とことん学校から子どもたちの父兄を通じて送り出しました。戦後、私は長野県で小学校をうけたんですけれど、満蒙開拓団については学校では一言も語られなかった。私がこの問題を意識的にとりあげたのは、国会議員になってからなんです。つまり、引き揚げの悲劇は語られるけれども、中国の人民に対して、土地を奪い、財産を奪い、その先兵として農民は送られたわけですけれども、そのことの反省の言葉を聞いたことはありません。
 そういう問題の一つに「慰安婦」問題もそうですね。私は国会議員をやめてから、とにかく「慰安婦」問題だけは、「慰安婦」問題からおりるという気持ちになれなかったんです。1992年に初めて「慰安婦」だった女性が2人、証言をしました。その時の語った内容も悲惨だったんですけれど、最後に一人の女性が「あなたのお父さん、あなたのおじいさんが、私をこういう目にあわせました。」と号泣したんですね。その声が耳から離れない。そして日本の国会議員である私は、女性である私は、解決しなければならないと今日まできているわけです。
 2、3年前でしたか、ドイツのベルリンにいきました。ベルリンでは、ユダヤ人を迫害した、いろいろな戦争遺跡が残っていたし、博物館や歴史資料館がたくさんあって、ドイツは世界大戦で何をしたかということを、国民に知らせるようになっておりました。1985年、ワイツゼツカ一大統領が「過去に目をふさぐ者は、現代にも盲目となる」という国会演説をしたのは有名ですけれども、先ほどから話があつたように、日本は、戦争犯罪人をたった一人も訴追してはいないんですよ 。日本が自らの手で、戦争犯罪人を訴追さえしていない。最高の戦争責任者であった昭和天皇の戦争責任も曖味にしている。それが、今日まで尾をひいているのではないかと強く思います。

 ※各発言は、会場での録音を原稿にしたものです。録音の不明確な箇所や発言の全てを
  録音できなかった部分もあり、不十分なものとなったことをお詫びします。ご留意
  ください。発言者からの訂正や追加があれば、続いて掲載させていただきます。
 ◎金宗鎮さんの発言:ご本人からのご指摘・校正により、補充改定をさせていただきま
  した。(12/12)

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