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2017.8.10r

2017 あいち平和のための戦争展・・・パネル展示 韓国・中国・日本

「平和について」歴史から何を学ぶか!

~敗戦後、侵略戦争への反省をした原点にたち戻って~

*くり返しませんあやまちは!    *新しい憲法に「戦力放棄」を宣言
*国民の基本的人権と民主主義の確立 *戦争を推進した黒幕「財閥」の解体

 日本の侵略というと、とかく軍部の横暴と暴力的殺戮が注目されがちですが、その根元には経済界の市場獲得のための他国侵略だったことです。この視点から歴史を見ると、現在の安倍政権がすすめる「戦争する国」の真の姿が見えてくるのではないでしょうか。
 72年前、侵略戦争を起したことを反省し、「過ちをくり返さない」と誓い、「平和憲法」の下に戦後の日本を進めてきました。
 いま「東アジア」の平和を希求するとき、かって侵略を受けた国々の人々の辛苦と無念に深慮し、日本の国が加害者であったことを真に認識することが大前提だと考えます。
 今こそ「歴史に学ぶ」大切さをあらためて訴えたいと思います。

韓国(朝鮮):日本統治39年間/1906~1945(独立記念館所蔵/アジア平和文化交流の会・韓国提供)
展示紹介 韓国-page1

 1906年から39年に及ぶ日本の統治(大日本帝国が大韓帝国を併合した日韓併合は1910年)は、展示にあるように過酷なものでした。民族否定、本土を凌ぐ人権蹂躙、皇国思想強要、さらに植民地として過酷な経済的搾取を受け、食料を含む生産品の収奪が行われました。参考に、統治末期1945年8月の工業部門の占有率を示す表をご覧下さい。
             赤色の最大部分=日本企業(92.6%)  194508 工業部門寡占表    

写真➊ 行事の度に「日の丸」掲揚、「君が代」斉唱を強要した。
写真➋ 毎朝の朝礼時に皇居に向け東方礼拝させ、「教育勅語」を唱和させた。
写真➌ 日本語使用を強要するポスター/1938年。
写真➍ 東亜風刺漫画 右の人物 「朝鮮語を喋れば、一言に1銭の罰金課すぞ!」
           左の人物 「自然に出るのをどうしますか?」
写真➎ 小中学校で強要された日本語での教育
写真➏ 有名な「創始改名」の法院公告指令書
写真➐ 皇紀(神武天皇即位紀元/BC660年起点) 2600年を記念して「皇国臣民の碑」が全国
    の学校に建立された。石碑の基礎部分に、右上の写真のような刻印をした「小石」
    を学生に製作させ埋めた。
写真➑ 金属類提供の強制・・・内地よりも過酷な徴収が行われた。
写真➒ 食料の強制収容令・・・広範囲にわたる品目に令状が出され、農産物不作時にも強
    引な収集が行われたため、寒村では餓死者が続出した。これらを取扱う日本の商人
    は莫大な利益をあげた。
写真➓ 右の写真は東亜日報に出された「発行禁止令」;理由は、1936年のベルリン・オ
    リンピックのマラゾンで朝鮮出身の「孫 基禎」が金メダル、「南 昇竜」が銅メダ
    ルを獲得したが、その報道イラストでユニホームに付いていた「日の丸」を消して
    掲載したため。

<追加資料>       (「日帝ファシズム期(1937-1945)の朝鮮民衆の不穏落書き研究」から)
日本統治時代に、公衆便所や建物に書かれた「落書き」
*我が大韓独立万歳 /ウジョング部駅公衆便所1938
*朝鮮は朝鮮人の朝鮮 /京畿道陽楼欄干
*食べていくことだけが私達のためなのか、朝鮮独立万歳 /水原劇場便所
*南閣下朝鮮を独立させてください、私は日本が滅亡するのを祝福する /場所不明
*1日も早く天皇を殺したい/場所不明
*釜山に住む我が朝鮮民族は一生懸命働いている、日本奴を抹殺して我が朝鮮人をもっと
 集めう。今は朝鮮が日本になってしまったが、日本こそ我が朝鮮のもの??ためらわな
 いで努力をしよう!お互いさま、我が朝鮮族万歳 /プサンの公園共同便所
*帝国日本打倒!・・打倒打倒、帝国主義打倒! /プサンの公園共同便所
*神も仏も判事も検事も金次第、裁判所は拝金主義 /仁川支庁区内便所


中国:占領統治7年間/1939~1945(資料:中国・南京民間抗日戦争博物館提供)
展示紹介 中国-page1
*写真⑪⑬以外は「支那事変画報」の記事:支那事変画報は、1937盧溝橋事件から終戦まで朝日新聞・毎日新聞により発刊された画報。
 タイトルの「支那事変」とは、日中戦争(1937〜45年)を指している(戦前の日本での呼称)。日本軍が中国を侵略した歴史が克明に記録されており、貴重な史料となっている。侵略戦争を「聖戦」として編集されている。
 また「支那」の呼称は、インドのサンスクリット語に由来し、後に日本の史観の変化により中国の呼称に用いられるようになった。この呼称は、「辺境の地」を意味する軽蔑的な言葉です。

写真⑪「国父孫文」の銅像を侮辱する日本兵/ 上海。
写真⑫ 空襲で仏租界に流れ込む市民/上海(記事は中国国民軍による空襲となっている・
 ・・日本は中国民の味方? 租界は外国の植民地化した地区をさす。)
写真⑬ 布告書第一号:盧溝橋事件(1937年7月7日夜に始まる盧溝橋一帯での日中両軍の
    軍事衝突で日中全面戦争の発端となった事件。中国では、「七・七事変」と
    もいい、日本政府は当時「北支事変」と称した。)渦中に支那駐屯軍司令官に就
    任した香月清司発した(発布日が未記入なので、実際に発布されたかは定かでは
    ないが、当時の軍の思惑がうかがえる。下記はその概訳)

大日本軍布告第一号
布告の事
大日本軍司令官香月は、ここに特に鄭重に中華各界、民衆に諭告し、ただ本軍の大日本帝国の使命を実行し、早く東亜の平和を確立し、中華民衆の福祉を増進せんと欲するのみである。その援助によって、日華両国が唇と歯のように密接に助け合い、ともに福慶が広く行き渡ることを実現する。常にこれ以外に、本軍は少しも他意は無い。今回、中国の軍隊が本軍に対して、至る所で、暴慢非道、常理に逆らうことを行った。本軍司令官として、東亜の大局は華北の安寧をはかることだと考え、不拡大方針を堅持し、何度も容認し、良いように計画してきたが、中国軍はついに過ちを悟らず非道を継続し、止めない。中国軍のこの種の行為は大日本帝国の尊厳を侮辱するだけではなく、東亜の平和を危機に陥れて、この先二度と繰り返してはならぬ惨禍を起こす恐れをはらんでいる。したがって本軍の職務は、上は天道に従い、下は民意に応え、このように不仁不義の頑妄兇暴の徒に対してうち懲らしめ、私を始め天は、ただ恐れを知らぬ敵を打ち、我が方の一般民衆に対しては常に我らの本軍の親しき友とし、純粋善良な民衆に対しては決して侵さず、必ず法に基づき永久の福利を保証し、各界民衆の穏やかで心静かな気持ちで正邪をわきまえ、本軍の真意を理解し、沈着で、くれぐれも擾乱することなく、各自落ち着いた楽園の実現を待つことが肝要である。もし機に乗じて地方を冒害し、反逆謀反の者たちを助けるならば、厳重に取り調べて懲罰を与え、容赦しないことを特に布告する。
昭和壱弐年七月  日
大日本軍司令官 香月清司

写真⑭ 占領後の南京:市民サービスに努める様子。
写真⑮ 日支親善教育:日本語を普及させ、日本の道徳観を学ばせるのが目的。
写真⑯ 事変第二次論功行賞:日中戦争で戦死し、功績のあった軍人への恩賞。何度も行わ
    れた。
写真⑰ 上海南市自治会:傀儡の中華民国臨時政府を後押しし、各地の自治会設立を奨励し
    た。
写真⑱ 青島邦人紡績工場放火略奪:各地で邦人企業への放火・略奪が横行。
写真⑲ 上海浦東罷業事件(ストライキ):邦人企業での劣悪な労働条件に対しストライキも
    発生。

「支那事変画報」への侵略を受けた側の中国の方の感想
<博物館呉館長の印象意見>
 80年前日本が出版した「支那事変画報」は、その目的を、当時の中国を侵略する日本軍の戦績を鼓吹し、侵略戦争を所謂”聖戦”と美化して宣伝したものです。
 画報の内容は、厳格な審査を経たものにもかかわらず、我々はやはり、日本軍の中国への無差別空爆や、好きなままの焼き尽くし、殺しつくし、奪いつくし、女性に対する性的暴力などの酷さの全貌を見る事が出来ます。当時の日本軍の戦績を日本国民に見せ掛ける為に刊行した「支那事変画報」ですが、逆に我々にとって日本軍の犯罪を証明する有力な物証となりました。
 日本が起こした侵略戦争は、中国人民に筆舌に尽くし難い災難を齎しました。現在、その戦争の煙は消えましたが、日本の右翼は絶えずその侵略戦争の史実を歪曲しています。それは、中国人民とすべての平和を愛する人々の感情を酷く傷つけています。私は、中日両国の人民と平和を愛する全ての人々は連携して、戦争を反対し、戦争を制止し、平和の花を永遠に咲かせていくように願っています。
<博物館の研究員達の感想とコメント>
*「支那事変画報」を見るたびに、載せてある全ての画面から、目を背けるほど気持ちが重く心が痛いです。当時の日本兵は、軍国主義の思潮に洗脳されて人間性を失い、人殺しの野獣になってしまいました。彼らの残虐な行為は、極少ない一部だけですけれども、「支那事変画報」によって記録されました。今日の日本政府と日本人は、その歴史を歪曲することなく、歴史の真実を認めてほしいです。
*日本軍の暴行は、言葉で形容できません。人類の歴史上にも稀なものでした。人類の文明に反し、野獣に匹敵する行為です。これらの暴行は、文明社会にとっては、共同の苦痛と侮辱です。如何なる手段を使ってもこの歴史を抹殺する事はできません。

日本
 昭和戦前期の学校教育は、戦争とファシズムに子どもを動員し、戦争体制を遂行するための歴史教育の改変であった。「国体明徴」の思想を歴史教科書にとりこみ、「教育勅語」に象徴される「日本精神」にもとづく「皇国教学の精神」を子どもに注入しようとした。
教育勅語原文 教育勅語(現代読み)
教育勅語                    (現代読み)
戦前の教科書 天皇img231_3 戦前の教科書 初等科修身2-1942年
天皇の国                     初等科修身
 その他、「修身」の内容を中心に幾つかのコピー集を展示しました。

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