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2019.12.08

北東アジア平和共存に向けた日韓平和フォーラム
2019年12月5日~7日
翰林大学 ビジョンホール・国際会議室&DMZ

翰林聖心大学 東アジア平和研究所・翰林大学 日本学研究所

 日本からの参加者120余りでフォーラムは活況のうちに閉会しました。アジア太平洋・平和文化フォーラムからは24名の参加でした。

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記念写真 パフォーマンス準備

小森陽一 閉会 記念写真

[PEACE 印]                                 画像の説明

プログラム:総合討論での金澤克彦の発言原稿

今年の7月ぐらいから「日韓関係」がクラッシュしてきました。テレビで安倍や当時の外相河野が韓国の首脳たちが応対する姿を見ましたが、二人の傲慢な態度に「どうしてだろう」と不審に思いました。その姿は、戦前のアジア侵略を進めた閣僚の態度を連想させるものでした。そして考えた結論は「今日の日韓問題の根っこは「日本の戦後処理」にさかのぼる、でした。

1、私が「加害国」の人間だと自覚させられたのは、シンガポールでのできごとでした。私は旅行社で働いていました。添乗をした私たちの団にしつこく付きまとう物売りのお婆さんがいました。余りうるさいので私が追い払おうと怒ると、彼女が叫びました「お前たちは戦前、私たちに悪いことをしたのだから、お土産を買ってくれてもいいだろう」と。思いもよらない言葉にびっくりしました。案内する若い日本語ガイドに聞くと;日本軍は1942年から45年までシンガポールを占領統治し、強圧的な支配を行った。さらに、抗日ゲリラ討伐として2万人の中国系住民を集め皆殺しにした。このことはシンガポールの人たちは誰でも知っています。戦後生まれの私たちも学校で学びました。しかしガイド達は、それを日本の観光客には話しません。日本の旅行社から「観光できている人たちに不愉快な思いをさせるから、話すな」と要請があったから~。
2、44年生まれの私は、戦後最も民主的な教育を受けた世代と言われます。しかし侵略戦争の実際については、ほとんど知りませんでした。
シンガポールの経験で私は、自分たちが侵略戦争を起こした国の国民であること、そしてその加害の歴史を皆でしっかり知らなければならないと思いました。そして一般参加の「平和の旅」の企画をし、アジアの国々へ多くの旅を催行してきました。
「平和の旅」で韓国の元慰安婦の方とお会いする機会がありました。優しそうな物静かなおばあさんでした。彼女は躊躇しながら、ぽつりぽつりと自分の体験を語り始めましたが、やがて感極まって「ヒロヒト、私の青春を返せ!」と叫ばれました。その姿は一生忘れることはできないでしょう。ヒロヒトは昭和天皇のことです。
3、何故、我々は「加害国の国民」の自覚に疎いのか。
少し乱暴に話を進めます。それは、日本の戦後の処理とその後の歩みにあります。
まず、天皇は「戦犯」から逃れ、新憲法のもとで「象徴」となりました。それに合わせ、侵略戦争を推し進めた勢力もまた生き残りました。アメリカの世界戦略策が背景にあります。
日本の兵士は「天皇陛下、万歳!」と叫んで戦い、日本占領下の国の人々には「天皇崇拝」を強要してきました。何事も「陛下のため、お国のため」と理不尽を通し、我慢を強いてきました。侵略を受けた国々の人達は、加害者が「天皇」を御旗に掲げた日本軍だった事実を体験しています。「天皇の戦争責任」を反故にすることに納得できるでしょうか。
4、戦後の保守系の政府は、「天皇」の名のもとに侵略戦争を進めてきた「負」の事実に目を背け、都合の悪い「加害責任」を認めない姿勢を取ってきました。加害責任を認めれば「天皇」を守ることが出来なくなります。さらに、天皇の戦争責任が不問になったのだから、その臣下である自分たちも責任はない、と都合よく思っているのでしょうか。
8月15日を「敗戦」ではなく「終戦記念日」とし、厳しい戦争が終わって良かったという表現にとどめています。戦争を起こした人たちへの責任を反故にした表現です。「事実をはぐらかし責任を回避する」 これが戦後政府の一貫したやりかたです。
5、戦後の日本は、侵略戦争を反省し、新憲法の基本三原理「基本的人権の尊重・主権在民・平和主義」をもとにスタートしました。しかしそれは建前で、実際にはこの三原理を軽んじあるいは都合よく解釈してきた歴史だったように思います。
1954年には自衛隊が発足。再軍備の始まりです。戦争をすすめた主役の右翼も復活してきます。57年には、戦犯に列した岸信介が内閣総理大臣に就任しました。安倍の尊敬する祖父です。彼は侵略戦争とは認めず、「日本が追い詰められて仕方なく起こした戦争だった」と主張した人物です。戦後10年にして、かっての侵略戦争を反省しない人物が、国の最高責任者になったのです。
6、その後、河野談話や村山談話が出されましたが、これは「公人の個人的発言」として扱われ、その内容に政府は責任を負わないというまやかしのやり方です。戦後の政権を担ってきた保守の本流の人たちは、「国民主権」をないがしろにし、国民を欺きながら、旧態然とした国民を統治統制する姿勢で、政治を進めてきたと思います。「侵略戦争を反省し、新しく日本は出発した」と騙されているとさえ感じます。
7、今や右翼は完全に復活し、戦前政体の復帰を目指す「日本会議」は、財界の支援を受け、自民党の主流となり、安倍政権を支えています。今の内閣の構成員のほとんどが「日本会議」の会員です。
天皇の代替わりの行事に浮かれている今の日本のマスコミに落胆し、怒りを感じます。日本を戦前に引き戻す気かと。
安倍の「憲法改正」は、戦前復帰の最終段階と言えます。既に、自衛隊の海外派兵を認め「安保法」を国会で強行採決しました。戦前の治安維持法に相当する「秘密保護法」を成立させています。
「憲法」は重症状態です。
何としても「安倍政権」を倒し、真の護憲政府を樹立させ、70年余り経ってしまいましたが、かって侵略をした国々に正式に謝罪し、必要な賠償を行い、真の平和国家を目指さなければなりません。
*蛇足ですが、「平和の旅」を重ねる中で、ここにいらっしゃる中国の湯さんや呉さん、韓国の金善龍さん達と平和を進める仲間になることができました。

12月8日 しんぶん赤旗記事
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*FaceBook掲載 https://www.facebook.com/search/top/?q=%E6%98%A5%E5%B7%9D%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%A0&epa=SEARCH_BOX

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